たくさんの視線 投稿者:喜多 加世

これは私が高校の帰り、友人とカフェで話していたときのお話。
 女子高生二人が喋っていると盛り上がり、声量も大きくなる。背後からの視線がちょっと痛い。

「あたし、どうしても蜘蛛が苦手なんだよね」

 テーマは苦手なものへと変わっていた。
 嫌いなわけではない、どうしても怖くて堪らないのだ。特に脚の長い種類が苦手だと彼女は言う。それには幼い頃に経験したことが原因だと言う。

 小さい頃、幼稚園くらいの頃かな。あたしの家には庭があった。縁側の前にはそこまで立派とは言えない池、その周りを彩るように岩や松が並んでいる。そこに巣を広げて蜘蛛は住んでいた。
 夕方になると戸締りを始める。縁側にも雨戸があるためそれを下げる。が、それは夕方外へ出て池の前から閉めなければいけなかった。それを行うのはまだ健康であった祖母の日課であった。ある日祖母は何を思ったのか幼いあたしを背負い雨戸を閉めに出た。その日までは蜘蛛なんてただ気色の悪い虫に過ぎなかった。
 雨戸を下ろす祖母の背中、あたしは何かの視線を感じて振り返ってしまった。
 そこにはぎょろりとした赤い瞳が、無数の赤い糸の上に乗りながらあたしを見つめていた。たくさんの大きな蜘蛛たちがあたしを、もしくは祖母をその両目で見つめていたのだ。そのときの感覚をまだ忘れられない、背中が凍っているようだった。しかし恐ろしいのに目を反らせなかった。あたしはまるで蛇に睨まれた蛙だった。見つめられている時間はすごく長く感じた。
 ガシャン、という雨戸を下ろす音であたしは我に返り泣きじゃくった。蜘蛛が怖い、と。しかし祖母は蜘蛛ごときで、と言い放った。そのときのあたしは大人はあんな恐ろしいものが平気なのか、とショックで仕方なかった。

「リフォームするまで暫くはその怖い池との付き合いが続いてね、祖母の日課があたしに回ってきたときは地獄かと思ったよ。外に出たら殺されるくらいの危機感があった。だから横着して家の中から雨戸を閉める方法を見つけ出した。それでもたくさんの蜘蛛はあたしを見つめていた」

 幼い頃にそんな体験をしたら誰だって嫌いになるだろう、と私は友人の話を聞きながら気分が落ち込んだ。

「そういえば巣を払ってもらったりはしなかったの?」
「お父さんに取ってもらったんだけど、なぜかその赤い糸の巣はずっと張ってあったんだ。それを言ったけど昼に蜘蛛の巣は全部取ったよ、と言われて…」

 幼い頃の幻覚か、もしくは勘違いだろうか、私はそうも思い始めていた。何かが赤い糸の巣を張る蜘蛛に見せているんだ、と。
 しかし。

「でね、最近気付いたの。赤い糸を持つ蜘蛛なんていないじゃない?」

 やはり勘違いか、そう思った。

「目玉が二つしかない蜘蛛なんて、いないじゃない?睨まないじゃない?しかもそんな大きな蜘蛛なんて…今じゃいないじゃない?なんでかな、とよくよく考えたらさ」

 そこから聞きたくなかった言葉を聞いてしまった。

「それって人の首だったんじゃないか、って」

 たくさんの人の生首が赤い糸に絡まり、吊るされ、晒されながらあたしを睨んでいたんだ。じゃああの八本脚は?と思っていたけどそれは絡まった髪の毛だったんだ。

 本当に聞きたくなかった。

 背筋がぞわぞわと何かが這う感覚がしながらもリフォームをした、と聞いたからその後の蜘蛛…だと思っていた首のことを尋ねる。

「リフォームしたときに池も潰してお祓いもしてもらったからもう見てないよ!」

 ただ今でも脚の長い蜘蛛を見るとそのことを思い出すから嫌だな、友人はそう言った。

 蜘蛛というのは家を守る役割もある。
もしかしたら本当にデカイ幽霊蜘蛛みたいなのが居て、友人の家に入ろうとする悪い霊…生首たちを捕らえていたのではないか。
そして“こういう奴らがいるぞ“、ということを彼女に教えていたのではないだろうか。

 私はそちらの可能性を考えたくなった。何故か?祓われた蜘蛛が可哀想だからだ。
そうでなかったら友人と私の背後で大きな両目で痛いほど見つめてくる奴らがこんなにたくさん居るはずがない。

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