シミ 投稿者:錆金 腓噣兒

それは、私が大学時代の話です。
当時の私は怠惰な人間で、学校をサボって寮に篭もり、自分の描きたい絵ばかり描いていました。
私が入った大学は落ちぶれも落ちぶれで、生徒も少なかった為、寮もかなり空いていました。
だから、私みたいな人間が、1人部屋を手に入れることなんて造作もありませんでした。
単位なんて知ったことか、あんな所へ行ったって、つまらない絵ばかり描かされるんだ。
昼間は部屋に篭もり、キャンバスに向かう。
この瞬間ばかりが私にとって生きる希望でした。
そして、夕方くらいになると腹が減るので、近くの売店で買った飯を食い、また夜中まで絵を描く。
そして朝が来る少し前に、布団に入り眠りにつくといった生活をしておりました。
親の仕送りと、高校時代に貯めておいたバイト代が、私の生活の支えでした。
それでも、私はこの生活に多幸感を得ていました。
好きな絵を描いても怒る人が居ない。
邪魔をする同級生も居ない。
勉強をしろと口出しする家族も居ない。
この狭くて薄暗い部屋の中で、自分の時間を大好きな絵のために費やすことが出来るのが、嬉しくて仕方がない。

ただ少し、気になる点といえば…。
部屋の隅のコンクリート壁にあるシミのことだ。
この壁のシミは、私がここに来たばかりの頃には既にあった。
寮の管理人によると、それはだいぶ昔からあるらしく、いくら洗っても落ちないのだと言う。
ペンキを塗り直したりもしたが、塗ったペンキの上からまたシミが顔を出しているそうだ。
私も当時、そのシミが気味悪くて、上からポスターなどで被せたりもしたが、翌朝にはポスターにシミがくっきり浮かんでいた。
いやはやかなり頑固なシミである。
しかし、ここまで頑固となると少し興味が湧いてくる。
このシミを使って何か絵が描けないだろうか?
私は画材道具を部屋の隅に寄せて、壁のシミの前にドンと腰を落としました。
こうしてまじまじとシミを見るのは初めてだな。
シミの色は黒く、まるで禍々しい模様のように真っ白な壁を這っていた。
手のひらほどの大きさのあるそれは、まるで花のようにも見えた。
ここで一つ、この花から蔓を伸ばしてみよう。
私は、使い古しのパレットに、黒の絵の具を絞り出し、少し濡らした筆先につけた。
そして、白い壁に黒々とした線を引き始める。
サラサラと、壁は黒い線で埋め尽くされていく様は、植物が成長し、茎を伸ばす過程のようだ。
私はそれが楽しくなり、三日三晩、1週間、いや、それ以上、無我夢中で描き続けました。

私は仕上げを終え、顔を上げると、そこには壁一面に広がる黒い花が、怪しく咲き誇っていた。
嗚呼、完成した、これが私の理想の作品だ…。
数週間だろうか?数ヶ月だろうか?
長い間のめり込んでいたので、流石に身体は限界を迎えてしまった。
疲労と飢えに、身体を動かすこともままならず、壁に持たれるように倒れてしまった。
その時に気がついてしまった。
壁に塗った絵の具が全て、シミになっている。
あの花のようなシミが、まるでそのまま壁に広がったかのように。
まぁ、絵の具も壁に塗ればシミになるか…、と考えていると、シミがザワザワと、一斉に私に向かってくる。
私は得体の知れない恐怖に刈られ、壁から身体を引き離そうとするもビクともしない。
まるで、胴体から根っこが生えて、壁に縫い付けられているかのようだ。
「た、助けてくれ!」
長い間沈黙し、絵を描いていた代償だろう。
その時出た声は、まるでそよ風のように細々としたものだった。
そうしているうちにも、真っ黒なシミが大きな塊となって、私の身体に纒わり付いてくる。
私は、このままこのシミと一つになるのだろうか、それもまた悪くないかもしれない。
私は全てを覚悟し、目を閉じた。

「おい、大丈夫か!?」
劈くような男性の声で目を覚ますと、私は外にいた。
いや、正確に言えば、地面に寝ていた。
さっきまでの記憶を曖昧に辿りながら、痛む頭を抑えると、頭から血が流れていた。
どうやら私は、寮のベランダから飛び降りたらしい。
その後、すぐ救急車に運ばれたものの、この事は直ぐに問題となり、しばらく引き篭っていたことも家族にバレて退学になってしまった。
退去準備をする時に部屋に戻ったが、壁にシミはひとつもなく、私が描いた花や蔓などの、絵の具の跡すら何も無い、ただ真っ白なコンクリートの壁がそこにあった。
管理人さんに聞いても、壁には何も無かった、シミが消えて良かった、なんて呑気に喋っていた。
心霊的なものにそもそも興味が無かった私は、かつてその部屋で何があったかとは聞く気にもならなかった。

そして現在、私は画家になった。
あの時の美しいシミに取り憑かれてしまった私は、今も尚、あの真っ黒な花を描き続けている。

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