山中の車内にて 投稿者:冥賀小夜日

私の母が大学生だった時分に、同じサークルのメンバーに起きた出来事です。

***

ある夏休みの日、A子さんはサークルの先輩に呼び出されて男女4人でドライブに行くことになりました。
車の持ち主でもある男の先輩が運転し、助手席にA子さん、後部座席にA子さんと同期のB君とC子さんを乗せて地元にある山へ向かいました。
その先輩は、よく後輩を呼び出しては行く当てもなくドライブをしていたそうです。
免許を取ったばかりで自分の車を持てたことが嬉しくて、とにかく運転したい年頃だったのだと思います。
A子さんをはじめ後輩たちも、時間を持て余した大学生の夏休みですから、コンビニでお菓子を買い込んで車に乗り込み一緒に楽しんでいました。

その日も、車で山道を探索しながら「こっちの道には何があるんだろう?」「この先はどこに続くんだろう」と4人でお喋りしてドライブを楽しみました。

ところが、坂道を上っているところで急に車が減速し始め、何もないところで止まりました。

「あー、しまった。遂にやっちゃったよ」

先輩が舌打ちをしながら頭を抱えました。
どうやら、ガソリンが切れて車が動かなくなってしまったということでした。
先輩はルーズなところがあり「ガス欠になってるの気づかなくてギリギリ危なかったわー」とよく笑い話にしていました。

「ええー、先輩ついにガス欠で車止めちゃったんですかあ?」
「今までギリギリセーフだったんだけどなあ、ついにやっちゃったなあ」

B君が先輩を笑い、先輩も「やっべー」と言いながら軽く笑っていました。
心配性なA子さんは、こんな山の中で車が動かなくなったことに不安を覚えたのですが、他の三人は笑い話が一つできた、という位にしか考えていないようでした。

「え? え? 先輩、どうするんですか、こんな山の中で」
「ああ、大丈夫だって、山に入る前にガソリンスタンドあっただろ? ちょっと行って相談してくるわ。電話も借りられるだろうし何とかなるっしょ」
「え、でも歩いていくと結構な距離がありますよ……」
「まあ、行かなきゃどうしようもないしさ。ちょっと待っててや」

確かに、山のふもとにガソリンスタンドがありましたが、そこを通過してもう三十分以上は車で走っています。
とはいえ、携帯電話がまだあまり普及していない当時、公衆電話も山に入ってからは見かけていません。

「女性だけで残すわけにもいかんし、Bもココで待ってて」

そう言って、先輩は車の鍵をB君に預けて一人でガソリンスタンドへ向かいました。
A子さんと後部座席の二人は同じサークルの同期で仲が良かったため、待っている間はお喋りをして退屈はしませんでした。
先輩が車を出てからしばらく、時間の経過とともに日が傾いてきます。

「ねえ、話しづらいし後ろ行っていい?」

あたりが暗くなり始め、助手席のA子さんは心細くなって後部座席へ移動しました。
もともと車の往来が少ない道ということもあり、日没とともに他の車は一切通らなくなりました。

「ここ外灯ないから、日が落ちたらほんとに真っ暗になるよね」
「そうだよな……先輩、もう山下りた頃かな」

ずっと楽観的だったB君とC子さんもさすがに心細くなってきたようで、だんだんと元気がなくなりました。
予想通り、日が落ちると窓の外は真っ暗になり、車中の三人ですらお互いの顔が見えないほどほぼ完全に視界を失い、外から聞こえるセミの鳴き声がやたらと大きく聞こえました。

コンコン

「きゃっ!」

ふいに車のドアがノックされてA子さんは思わず声を上げました。

「ちょっとA子、なにビビってんの」
「も、まじ先輩やっと戻ってきたんっすかー」
C子さんはホッとしたように笑い、B君も安堵の声を出します。

コンコン

車の後部座席、A子さんが座っている側のドアが再びノックされます。
窓の外は真っ暗で、ドアをノックする人物の姿を確認することはできません。

「先輩ですよね?」

A子さんは車の外に向かって話しかけました。

コンコン

外の人物は応えません。

「先輩、ちょっと冗談やめてくださいよ。まじ何も見えなくて怖いんで」

コンコン

B君も笑いながら話しかけますが、声色には不安が混じっていました。
それでも、外の人物は返事をしません。

ガチャガチャ

「ひっ!」

外の人物が、車のドアを開けようと激しく取っ手をつかむ音がしました。
A子さんは助手席から後部座席へ移った際、何気なく鍵をかけたことを思い出します。
そして、このドア以外の鍵はおそらく開いたまま――

ガチッ

A子さんは、とっさに身を乗り出して手を伸ばし、助手席の鍵をかけました。
ほぼ同時に、助手席のドアがガチャガチャっと激しく鳴りました。

「そっちのドアと運転席のカギかけて!」

慌てて反対側に座っているB君に声をかけると、意図を察してB君もすでに動いていました。

ガチャガチャ

今度は、運転席のドアが激しく音を立てます。
それから、B君の側のドアも――。

ガチャガチャ

ゴンゴン

ゴンゴン

四方のドアが開かないと分かると、先ほどのノックより強く激しく、車のドアが叩かれます。

いま外にいるのは、先輩じゃない。

三人はそう確信していました。

ゴンゴン

ゴンッ――

苛立ったように、大きく車を叩く音が聞こえ、再び静寂が戻りました。
三人は息をひそめて、身を寄せ合って縮こまっていました。

「どっか行ったかな?」
「分かんない……」
「まだ居るかも」

誰も、外に出て確認しようとは言い出しませんでした。
まだ車のそばにいるかもしれない、ドアを開けた瞬間にアイツが入ってくるかもしれない、だから絶対に鍵を開けることすらしたくない、そう思い身動きがとれなくなっていました。

腕時計の数字すら見えない暗闇の中、時間の経過も分からず、三人は緊張感と恐怖で何も話せなくなりました。

ゴン

「うわあ!」
「きゃあ!」

その時、再びドアを叩く音が聞こえました。
心臓が跳ねるほど驚き、音がしたA子さん側のドアを見ます。

ノックではなく、一度だけ、低くて重い音がして、また静かになりました。

「……先輩?」

絞り出すようにA子さんが訪ねますが、返事はありません。

「動物でも、ぶつかったのかな?」

暗闇でB君の声が聞こえました。

ゴン

「ひゃっ」

その瞬間、再びドアを叩く音がしてB君の体が跳ねた振動が伝わってきました。

ゴン

……

ゴン

「ねえ! なにこれ!? 本当に動物!?」

ドアを叩くような音は、間隔を開けて、何度も鳴ります。

ゴン

「絶対ちがうよねぇ!? こんなの動物じゃないよねえ!?」
「分かってるよそんなこと!」

ゴン

半狂乱でC子さんが叫びだし、B君も苛立った声で怒鳴りました。
A子さんは音が鳴るたびにドアから伝わる振動が恐ろしくて声が出せず、ただただ隣のC子さんにしがみついていました。

ゴン

……

ゴン

先ほど何者かがドアを開けられなかった時のような、苛立ちや怒りを感じさせる音ではなく、もっと無機質で単調な鈍い衝撃音。

ゴン

窓の外は変わらず真っ暗で何も見えません。

「うえっ ひっく……」
ズズ……

嗚咽、鼻をすする音――

ゴン

「ひっ」

A子さんもB君もC子さんも、車の中央にできる限り身を寄せて、お互いの体の震えが伝わるほどに密着していました。

もう、嗚咽も悲鳴も、誰のものなのか、自分のものなのかすらよく分からなくなっていました。

ゴン

……

ゴン

…………

ゴン

十数回か、何十回か、数えていませんでしたが、しばらくすると、音の間隔がだんだんと長くなってきました。

ゴン

………………

いつの間にか、泣き声も悲鳴も聞こえなくなり――

ゴンゴンゴン!

ゴンゴン!

「大丈夫ですか!?」

激しく車を叩く音で、A子さんは跳ね起きました。
そこで初めて、自分が目を覚ましたことに気が付きます。

隣を見ると、B君とC子さんも驚いて目を覚ましたばかりという様子でした。
3人で顔を見合わせて、外が明るくなっていることにも気が付きます。

ゴンゴンゴン!

「大丈夫ですか!? 警察です! 開けてください!」

再び、A子さんの側のドアが激しく叩かれます。
窓の外には、確かに警察官の制服を着た人が立っています。
それでも不安で、A子さんはドアを開けることができませんでした。

「あの、何か――」
「ああ、よかった。お怪我はないですか?」

恐る恐る、A子さんが声を出すと、外の警察官は心底ほっとしたようでした。
その様子に安心して、ゆっくりとドアを開けます。

「あの、一体、何が……」
「昨夜、山のふもとにあるガソリンスタンドに強盗が入ったんです。そこの店員とお客さんが殺されましてね」
「えっ……」
「あなたたち、何か見ていないんですか?」

A子さんは、車を降りました。
車の周りには、石や植物とは全く違う異質な何かがたくさん転がっていました。
A子さんは、その転がっているモノが何なのか咄嗟に判断することができませんでした。

反対側のドアから、B君とC子さんも出てきて――

「きゃああ!」

C子さんが悲鳴を上げました。

転がっているのは、バラバラになった人間――先輩の体でした。

車の側面には赤黒くなった血がべったりと付いていました。

――ああ、あの音は、先輩の体が車に投げつけられていた音だったんだ――

昨夜、先輩はガソリンスタンドへ着いたときに、運悪く強盗と鉢合わせてしまいました。
それまで大人しくしていたガソリンスタンドの店員が、そのタイミングで強盗に抵抗を試みて、命を落としてしまいます。

命の危険を感じた先輩は、パニックになって自分の車まで走って逃げようと来た道を戻ってしまいました。
しかし、途中で追いつかれて殺されてしまいます。

犯人はそのまま山を登り、A子さんたちの乗っている車を見つけました。
「もしかしたら車の中の奴らは何かを見てしまっているかもしれない。全員殺して車を奪って逃げよう」そう思い、夜が明けるまで車のそばでドアが開くのを待っていたそうです。

もし、あの時、誰かが外を確認しに出ていたら――。
もし、先輩が車の鍵をB君に預けず、自分で持って行っていたら――。

***

その後、犯人は無事に逮捕されたそうです。
地元では有名な事件で、新聞にも載り、学校が取材を拒否したにもかからずサークルの部室前を記者がウロウロしていたのを覚えている、と母は言っていました。

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