音楽室にて、背後から 投稿者:寝違ヱル

中学3年生の秋、僕たちのクラスは文化祭で披露する合唱の練習に熱を上げていた。

 合唱に力を入れる先生がクラス担任だったことや、その先生に感化された生徒も多かったことから、練習への情熱は他のクラスと比べても頭一つ抜きん出ていたように思う。
 僕も、
「俺は女子のそばに立って歌ってるから音が引っ張られそうになることもあるんだけど、お前の声を聴きながら歌ってれば間違えない」
「声がよく通るから助かってる」
…などとクラスメート達に言われている内にすっかりその気になってしまい、気がつけば男子生徒の列の最後方から声を張り上げ続ける毎日を送っていた。

 文化祭まであと数日となったある日、校舎の4階にある音楽室を貸し切って全員で練習をしていたときのこと。
 残り時間的に次の通し練習が今日最後の練習になるだろうということで、本番さながらにピン…と張り詰めた空気のなか、指揮者の生徒が動き出し、伴奏が始まった。
 さすがにもう誰も歌詞を間違えないし、音程もリズムもズレない。担任の先生から

「仮に誰かが途中でなにかミスをしたとしても、指揮者が壇上から降りるまで目を逸らさないように」
と教えられていたのだ。全員が同じ方向を向いて同じリズムを共有しているのが、僕の立っている男声パートの最後列からはよく分かった。

 ところが。
 これといったミスもなく、最後の大サビを歌いきった時だった。
 まだ伴奏が続いているにも関わらず、視界の中の男子生徒全員が後ろを振り返った。何故かみんな僕の方を見ている。いったい何だ…?僕自身はなんの異常も感じていなかったので、伴奏が終わるまで指揮者を見たまま動かなかった。
 
 練習が終わり、先生が解散の音頭を取るよりも早く、男子生徒達は口々に騒ぎ出した。
 なんでも、

“”自分たちの背後から聴き覚えのない高い声がした””

というのだ。
 それでみんな気になって後ろを向いたらしい。

「悲鳴みたいだった」

とか、

「女の声だった」

とか、言い方は様々だったがとにかく男子の声とは思えないような高い声だった…と、彼らは口を揃えた。
 おかしなことに、男子生徒全員と一部の女子生徒、更には担任の先生にまで聴こえたというその声は、僕にはまったく聴こえていなかった。
 僕自身は声がかすれたり裏返ったりといったことはなかったし、僕のすぐ隣にいた友人も

「こいつの声はいつものように聴こえていた。声が裏返ったとかそういう様子はなかった」

と言った。
 言うまでもなく僕達が練習している間、音楽室に入ってきた人は誰もいないし、そのうえ僕達最後列のすぐ後ろには壁があるだけだ。人の声どころか物音すら鳴るはずがない。

「きっと、廊下に出ていた下級生がなにか騒いだんでしょう」

と、担任の先生は言ったが、僕達の後ろにある壁は廊下に面していない。下級生の騒ぎ声が僕の後ろから聴こえるとは考えにくかった。
 結局、その声の正体は分からず仕舞いのままその日の練習は終了した。

 その日以来、『合唱中に聴こえてきた謎の声』という話は物好きな生徒たちの間で噂として広がった。
 僕はその声を聴いていないこともあり、その噂話にはいまひとつ乗れないまま卒業してしまった。そもそも建て替えられてから十年経ったかどうかの綺麗な校舎だったのだ。風情も何もあったものではない。どうせ何かのきっかけで起きた何かしら別の音が人の声みたく聴こえたんだろうな、と思っている。

 …いや、思おうとしているのかもしれない。

 あの時。視界の中の殆どの男子生徒と目が合ったあの瞬間。一人だけ同じように振り返ったにも関わらず目の合わなかった奴がいるのだ。
 彼はその年の春、隣町の学校が廃校になるのに伴って僕達の学校にやってきた数人の生徒の内のひとりだった。班行動なんかで一緒になることもあったから全然話さないわけでもなかったのだが、お互い人見知りをしてしまったようであまり深い付き合いは出来なかった。
 だから特別霊感が強い奴だとかとかそういう話も聞いたことがないし、この音楽室での一件の時も特段やり取りをした記憶がない。もしかすると僕自身、彼の話を聞くのが怖くて避けたのかもしれない。
 彼があの時何を見ていたのか、連絡先も聞かないままずいぶん経ってしまった今では確認のしようもない。
 僕も彼の視線を追って振り返っていたら彼と同じものが見えたのだろうか。

 みんなが振り返って僕と目を合わせる中、彼は僕の顔から向かってやや左…壁しかないであろう一点を無表情のまま凝視していた。

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